道徳科の目標についてマジメに考える ー道徳科の目標の構造化を試みるー
道徳科の目標についてマジメに考える ー道徳科の目標の構造化ー
道徳授業を行う上での”おおもと”となるのは、道徳科の目標(特別の教科道徳の教科目標)である。さて、この道徳科の目標をどれだけ、きちんと理解しているだろうか?
今まで、様々な研修で道徳科の目標について話を聞いてきたはずだ。でも、
・何度も聞く同じような話に、「あ、またそれね」とスルーモードになっていないかい?
・道徳性とか、道徳的価値とか、道徳的心情とか、そのキーワード、本当に意味をわかって使っているかい?
そして「きちんと理解できている」というのは、
・自分の言葉で、誰か(同僚とか?)に説明できるレベル
・そして何より、日々の道徳授業実践に生かせるレベル
ということだよ。ね、とたんに、自信ないでしょ。
(1)道徳科の目標 構造化の試み
ということで、改めて、道徳科の目標(小学校) ドーン!!!
これは何度も見たことがあるとは思うんだけど、これを読んだだけで、その意味するところというか、学習指導要領のねらうものがわかれば苦労しないよね。正直、これでは本当の意味で理解するというところにはたどり着けない。
そこで、この道徳科の目標を、構造化してみようと思う。
なぜかというと、大学の時に、ある教科教育の授業(講義)で、
学習指導要領の教科目標を自分なりに構造化してみると理解が深まるよ~
というようなことを聞いたことを思い出したからだ。ちなみに道徳の講義ではない。
私なりに、構造化を試みたものが、こちら!
構造化していくために、学習指導要領解説を中心として、いろいろな資料に当たって調べていかなければならないんだけど、この過程の中で、ずいぶんと理解が深まったし、スッキリしたんだよね。(もちろんスッキリしない箇所もある。)
ただし、これが唯一の正解というわけではないよ。
(そもそも、ある一つの正解であるかどうかもわからないけどね~)
次に(2)で、このように構造化をした理由・根拠を、解説を使って確認していくよ。
(2)解説を確認してみよう
ここからは、解説を確認しながら、一つ一つの文言や用語についての理解を深めていこう。
まず、道徳科の目標を、(A)から(D)の、大きく4つの部分に分けてみようと思う。
そして、赤字で示したところがキーワードになってくると思う。(ほとんどやん!とか言わないでね。)
では、まずは(A)の部分の「よりよく生きるための基盤となる道徳性」って部分。
これ、道徳科の目標だと「よりよく生きるための基盤となる道徳性」だけなんだけど、総則を見ると「自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性」って書かれているんだ。総則のほうの表現と合わせて見てみると、少しわかりやすくなるね。
そして、解説(総則編)には、さらに「児童一人一人が将来に対する夢や希望,自らの人生や未来を拓いていく力を育む源となるもの」という説明がされていて、これは「よりよく生きるため基盤となる道徳性」の定義というわけではないと思うんだけど、「よりよく生きるための基盤となる道徳性」を言い換えた表現と考えることができるんじゃないかな。
そして、道徳性という用語は、
・よりよく生きるための営みを支える基盤
・人格的特性
・人格の基盤
・人間らしいよさ
・道徳的価値が一人一人の内面において統合されたもの
ってような意味で使われているんだね。
次に(B)の「道徳的諸価値について理解する」の部分
これは、正直に生きることはよりよく生きるために必要ですよ~というような「道徳的価値」を3つの側面から理解するようにしてくださいねということ。
単に「正直に生きることは大切」って価値を理解するんじゃくて、
「正直にするって大切、だけど難しい…。ついごまかしてしまうこととか、うそをついてしまうこともあるよね…」っていう人間の弱さの部分にも目を向けましょうということ。(=人間理解)
そして、「これこれこういう場面では、どうして正直に言った方がいいのかな?」っていう道徳的な問いに対して、
「正直に言った方が自分がスッキリする」とか
「相手にとってもいいよね」とか
「正直に言えば許してもらえるかも…」とか、
考え方や感じ方は、様々にあるよね。だから、そういった理解(=他者理解)も図りながら、正直という道徳的価値についての理解していきましょうってこと。
ちなみに、上のスライドに出てきている「道徳的価値」と「道徳的価値観」の違い。これについては、ここで説明すると本線から逸れそうなので、また後日!
次に、(C)は、「~学習を通して」だから、道徳科の学習の特性(?)みたいなことを言っているところ。
・①自己を見つめること
・②多面的・多角的に考えること
・③自己の生き方についての考えを深めること
の3つが道徳科の学習の特性ってこと。
ここの部分について、解説からキーワード(?)を拾ってみたよ。
(ここ、若干、手抜き感・・・失礼)
自己を見つめる、まあ言葉通り!
次に、
多面的・多角的に考える、これがわかったようで、わからない!実は、解説には「多面的・多角的に考える」とはこういうことですよ~とは書いていない。あと、「多面的」と「多角的」と2つの用語を使っているくせ(←?)に、両者の違いは説明されていない。でも、この「多面的・多角的」は道徳科の超重要キーワードだと思うから、これもまた別で詳しく取り上げようと思う。
そして、
自己の生き方についての考え、これもだいたいイメージはわくよね。
そして、私自身、この3つ(①~③)について、3つそれぞれの意味とか、ねらうところはわかったんだけど、この3つの関係性がいまいち理解できなかったんだよね。
・この3つには、順序性はあるの?とか、
・そもそも、この3つは横並びなの?とか、
私は最初、「道徳的価値についての理解」と「道徳的判断力、心情、実践意欲と態度」とを橋渡しするようなイメージで、3つが横並びな構造をイメージしていた。つまり、この①~③の「学習を通して」、「道徳的判断力、心情、実践意欲と態度」の育成を目指していく・・・というような感じで。
しかし、どうやらそうではないらしい。
それを教えてくれたのが、下の資料。
中教審のワーキンググループが作成した資料
(これ、見つけるの、苦労したの・・・)
この資料によると、道徳的価値の理解を基にして、
「道徳的価値の理解」と「自己の生き方についての考えを深める」こと、この両者の間を行きつ戻りつ学習していくのが道徳科の学習で、
その行き来の過程の中で、「自己を見つめ」たり、「多面的・多角的に考え」たりしていくことが大切。
となると、この2つはどちらかというと方法・手段のようなイメージかな、と。
だから、最初に示した構造化の図でも、そのことを反映してみたんだ。
そして最後に(D)
ここは、
・道徳的判断力
・道徳的心情
・道徳的実践意欲と態度
(さらに分ければ、道徳的実践意欲と道徳的態度)
の大きく3つに分けられて、
まとめて「道徳性を構成する諸様相」って呼ばれている。
※様相:ありさま、様子、姿などの意味
で、それぞれの定義がこれ。
この3つは、
・分類されてはいるものの、明確に分けられるものではないし、
・判断力→心情→実践意欲→態度みたいに、順序性があるわけでもない。
(と解説に、書かれている!!!)
この3つ(諸様相)も、道徳科の超重要キーワードだから、
・この3つ(というか4つというか)の意味するところ や
・この3つ(というか4つというか)の関係性 とか
を改めてきちんと整理したいと思う。
それでは、まとめにかえて、再度!
道徳科の目標、みなさんはどのようにとらえていますか?
批判・指摘も含めて、ぜひ、皆さんのとらえ(構造化)を教えてください。